神谷浩史『劇場編集版 かくしごと』TV版と異なるラストに「やっぱり音楽の力ってすごい」「あだち充先生の『みゆき』以来なんじゃないか(笑)」
愛と笑い、ちょっと感動の漫画家パパ×娘物語「かくしごと」の劇場版、『劇場編集版 かくしごと ―ひめごとはなんですか―』(7月9日より公開中!)の後藤可久士役・神谷浩史さんのインタビューをお届けします。
久米田康治画業30周年記念作品として、TVシリーズを再編集、新規カットを加えた『劇場編集版 かくしごと ―ひめごとはなんですか―』。TVアニメで描かれなかったもうひとつのラストを描き切ります。
後藤可久士役の神谷浩史さんに、久米田康治作品の魅力や、今回のラストの感想までたっぷりとお話を伺いました。
もしかしたら存在しなかったかもしれない、奇跡的なバランスで出来上がった作品
――劇場版になると聞いたときの印象は?
神谷:最初に聞いたのは、久米田先生からだったんです。久米田先生の画業30周年のトークイベントにゲストでお呼ばれして、それが終わったタイミングで久米田先生が「よろしくお願いします」みたいなことを言ってきたから、「何の件ですか?」と返したら、「え、聞いてないんですか? 劇場版が」と言われ、びっくりしました。僕はアニメーションが作られることを台本が手元に来たくらいのときにやっと知る感じが当たり前の感覚なんです。でも、久米田先生は僕が知らなかったものだから、「劇場版の話は嘘なんじゃないか?」と不安になるという一コマがありました(笑)。
それで話を聞いたら、TVシリーズの後に原作が完結して、漫画ではTVシリーズとは違うエンディングを久米田先生がご用意されていたので、そちらに準じた形でTVシリーズを再編集して、原作の漫画連載と同じエンディングで映像も作りたいという劇場編集版の話だったので、これは随分と奇跡的な形で出来たものだと思いました。
というのも、元々、原作と一緒に終わるという計画で『かくしごと』のアニメーションは作られていたので、久米田先生の原作と同時進行で作られていました。なので最初にネームの段階で「こういう最終回にします」というものは事前にアニメスタッフは受け取っていたんです。ところが原作の完結が久米田先生の事情で一か月延びたことによって、久米田先生がプラスαでアニメとは少し違うエンディングになったんです。その最終回を、またアニメの方に逆輸入するという形での劇場編集版なので、当初の計画通りに進んでいたら、もしかしたら存在しなかったかもしれない……と考えると、本当に奇跡的なバランスで出来上がっている作品だなという印象でした。
――追加カットを含めた劇場版のストーリーを知ったときの感想は?
神谷:追加カットも含め、TV版と同じシーンだけれどもセリフのニュアンスを変えたりといった、新しく収録し直したところも当然あるんですけれど、今回の劇場編集版は「―ひめごとはなんですか―」のサブタイトルが付いていて、姫目線で物語が進んでいくという内容になっています。
なので姫の目線で物語をまとめると、父親の交友関係、特に意図せず可久士がモテたりするエピソードなんかが割とシンプルにまとめられていて(笑)、そこがちょっと面白かったですね。
『さよなら絶望先生』で久米田康治作品のキャラの印象を作った自負がある
――神谷さんは『さよなら絶望先生』シリーズでも主人公を務められていますが、久米田先生の作品に参加する際に心がけていることがあれば教えてください。
神谷:『さよなら絶望先生』に参加させていただいたときに、あまりにも独特だったので、このキャラクターがどういう声やリズムで喋るのかがまったくわかりませんでした。最初は原作を一ファンとして読んでいましたから、当時は「もしアニメとかになったら、この役をやる人は大変だろうな~」くらいにしか思ってなかったんですよね。なので、糸色望の声を任されることになって「どうしよう」と思いながらスタジオに向かったのを覚えています。
でも第1話の「死んだらどーする!」というセリフをテストで音に出したときに、「あ、この人、こういう風に喋るかも」と何かが自分の中で生まれたんです。そこから先は『さよなら絶望先生』に関しては迷うことなくなりました。そこで生まれた何かが、webラジオの「さよなら絶望放送」で揉まれることによって、原作から派生したアニメ、アニメから派生したラジオ、さらにラジオから派生したものを原作に逆輸入、それをすぐにアニメで使って……みたいなサイクルが生まれてきたときに、お互いがお互いを監視しているじゃないですけど、様式美が出来上がったのだと思います。
アニメの第3期なんて特にそうですけれど、木津千里なんて「、」と「。」で必ず切るし、「、」と「。」が画面に表示されるようになっているんです。そういう演出効果を生んだりとか、“こうしなきゃ”というものが段々固まっていってはいるけれども、その雛形はすでに第1話でほぼ完成していて。でも、それは急に降って湧いたような何かだったんです。
原作を読んでいるときはそういうものは感じられなかったんですけれど、『さよなら絶望先生』のアニメを作って、お互いがお互いを考察し合うことによって、よりソリッドになっていて第3期まで行き、その先に『かくしごと』があるので、ある意味、「久米田康治作品ってこうだよね」となってしまった気がします。1回『さよなら絶望先生』を観てしまうと、なぜかみんなの中に、「久米田康治作品のキャラクターたちはこういう風に喋る」みたいな回路が出来るんだと思うんですよね。それを作ったのは僕たちだろうな、という自負はあります。
なので、『かくしごと』の後藤可久士を任されたときに、その先にある何かを提示しなきゃいけないし、そこに乗っかる新しいキャストの人たちがどういう芝居をするのか、そこを含めた上で全部飲み込んで、ちゃんと作品の形にしなきゃいけなかったので、すごく責任重大だな、と思いながら参加していました。
――『かくしごと』の第1話を観たときに、『さよなら絶望先生』から続いている久米田康治作品の空気感が感じられて、ちょっと感動しました。
神谷:そうおっしゃっていただけるとすごく有り難いんですけど、本当にリスキーなことだと思います。前はシャフトさんで新房昭之監督が作ってくれていたもので、今回はまったく違う亜細亜堂というアニメ制作会社で若い村野佑太監督が手腕を振るうということだったので、僕はそこに対して意見することは一切できないし、するつもりもないので、村野監督が作りたいものに寄り添っていくしかない。そもそもオーディションの段階で僕じゃないと思うのであれば、それはそれで構わないと思っていました。
こんなことを言い出しても意味はないのはわかっているのですが……僕じゃない人が後藤可久士をやっても、それはそれで成立してしまうと思うんです。なので今後、久米田先生の作品が再びアニメ化されたときに答えが出るのかもしれませんね。そのときに、もしまた求めてもらえるのであれば……その期待に応えられる自分でいようとは思いますけれどね。
――神谷さんが感じる、久米田康治作品の魅力とは?
神谷:とにかく作品に対する情報量が多いんですよ。話のストーリーラインとしては、とてもシンプルなものを提案しているけど、そこに対する小ネタだったりの情報量が多いんです。だから、『さよなら絶望先生』をやっているときに特に思っていましたけど、よくこんなものを週刊ペースでやっているな、という感じでしたし、そこは1つの魅力だと思います。
あとは、なんと言っても久米田先生が引く線ですよね。キャラクターに隙きがないんですよ。キャラクターって記号なので、その記号は線が少ないほうが伝わりやすいんです。久米田先生の引く線というのは、とてもシンプルでソリッドなんですよね。本当に必要最低限の線で、引き算でキャラクターを作っているんだと思うんです。これが足し算でいけば、どんどんビジュアル的にはキレイになっていくかもしれないけれども、伝わりにくくなっていくんだと思うんですよね。でも、そういったところをおそらく引き算で、必要最低限のとても美しい線でキャラクターが配置されていて。
キャラクターはとてもシンプルなんだけれども、情報量は非常に多い漫画になっているという。そういうギャップだったり、とても可愛らしいキャラクターだけれど、言っていることに毒が多かったりとか。毒があっても、それがあまり毒っぽく見えない。普通に読もうと思えば普通の漫画だけれども、その毒の裏の意味とかを考え始めると、「ああ、よくここまで計算して漫画を書いているな」と思う情報量の多さです。
そういった意味では『かくしごと』は、久米田作品の集大成で、普通に読むとある意味“日常系”。なんとなく親子が幸せに平凡に暮らしている日常系漫画の体裁を取りつつ、でも、漫画家の側面として下ネタ漫画を描いていて、それを隠している主人公がいて。それは実際に久米田先生の過去の経歴だったりするから、表面的に見たら普通の日常漫画だけれども、ご自身の経験も絡めた、そういう多重構造になっている部分とか、久米田作品の魅力というのは挙げたらきりがないんですけど(笑)。
でも、そういうシンプルさと複雑さが同居しているところが魅力なんじゃないですかね。
劇場版ラストの映像化に「原作を読んだときの感想そのまま。それ以下には絶対になっていないと自信をもって言えます」
――では、神谷さんご自身は、隠し事がバレるタイプですか?
神谷:バレると思います。
――もし、みんなでサプライズしよう!みたいな場合は隠し通せますか?
神谷:そういうのは得意です。自分のための隠し事はあまりないので必然性を感じないですけど、誰かのために「これ言わないでね」と言われたら、絶対に言わない自信があります。それはたぶん顔にも出ないですね。自分のことは、そうでもないと思います。
――今回のキャストさんの中で隠し事が得意そう、またはすぐにバレてしまいそう、と思う方は?
神谷:(志治 仰役の)八代拓くんは、たぶん隠し事は苦手でしょうね。なんか苦手そうだなって気がします。そういった意味では、(芥子 駆役の)村瀬歩くんとかは頭が良いので、上手かもしれないですね。
――今回、原作に準じたラストになっていますが、映像でご覧になった感想をお聞かせください。
神谷:やっぱり音楽の力ってすごいな、と思いました。もちろん原作の力ではあるんですけれど、原作もアニメーションに使った主題歌(大滝詠一「君は天然色」)に絡めた形で最後のエピソードを作ってらっしゃるので、そういった意味で、音楽の持っている力というのはとても絶大だな、と。それをすごく効果的に使うことによって、良い話を観たなと、より強く感じられるんじゃないかなと思います。
――流れてくる主題歌の歌詞と内容がリンクしていく様子は、映像ならではの楽しさですよね。
神谷:原作の最終回もそう作ってらっしゃって、そういう最終回にしたのは、もはやあだち充先生の『みゆき』以来なんじゃないかって思うけど(笑)。それが頭の中で再生されているイメージというのは人それぞれあって、なおかつそのイメージを現実が超えていくって、実は非常に難しいんですよね。だから本来であれば、久米田先生が紙の上で描かれているものが頭の中で再生されている読者さんのイメージが、僕は最強だと思っています。
でも、それを村野監督がちゃんと理解した上で映像にしてくれていると思うので、原作を読んだときの感想そのまま。それ以下には絶対になっていないはずなので、それは自信をもって言えます。
――ありがとうございました!
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作品情報
『劇場編集版 かくしごと ―ひめごとはなんですか―』イントロダクション
~久米田康治画業30周年記念~
愛と笑い、そして感動の父娘物語がスクリーンに!
漫画家の後藤可久士と一人娘の小学4年生の姫。
愛と笑いにかくされた2人の“かくしごと”に日本中が涙した――。
そして今回、劇場編集版として新規カットを追加し、TVアニメで描かれなかったもうひとつのラストを描き切る。
父娘のさらなる“かくしごと”の箱が今開く。
2021年7月9日(金)より全国劇場にて公開中。
◆スタッフ
原作:久米田康治(講談社「月刊少年マガジン」)
監督:村野佑太
脚本:村野佑太
あおしまたかし
キャラクターデザイン:山本周平
美術監督:本田光平
美術:草薙
色彩設計:のぼりはるこ
仕上げ:緋和
撮影監督:佐藤哲平
撮影:旭プロダクション白石スタジオ
編集:白石あかね
編集スタジオ:瀬山編集室
音楽:橋本由香利
音響監督:納谷僚介
音響制作:スタジオマウス
アニメーション制作:亜細亜堂
配給:エイベックス・ピクチャーズ
製作:劇場編集版かくしごと製作委員会
◆キャスト
後藤可久士:神谷浩史
後藤 姫:高橋李依
十丸院五月:花江夏樹
志治 仰:八代 拓
墨田羅砂:安野希世乃
筧 亜美:佐倉綾音
芥子 駆:村瀬 歩
六條一子:内田真礼
マリオ:浪川大輔
古武シルビア:小澤亜李
東御ひな:本渡 楓
橘地莉子:和氣あず未
千田奈留:逢田梨香子
主題歌:flumpool「ちいさな日々」(A-Sketch)
エンディング・テーマ:大滝詠一「君は天然色」(Niagara RECORDS)
公式サイト:
https://kakushigoto-anime.com/[リンク]
(C)久米田康治・講談社/劇場編集版かくしごと製作委員会