The LASTTRAKとのコラボCD制作をクラウドファンディングで募集! シンガーソングライター高田梢枝さんインタビュー(前)
2005年4月の放映以来、今なおファンに愛され続けている『交響詩篇エウレカセブン』のエンディング曲「秘密基地」。2000年代のアニメ主題歌屈指の名曲を送り出したシンガーソングライターの高田梢枝さんが、クラウドファンディングサービス『PICNIC』で、CD制作のための出資者を募っています。
CDではオリジナル曲のほか、超都市型音楽イベント『Re:animation4』で共演した兄弟リミキサーユニットThe LASTTRAK(以下ラストラ)とのコラボレーションも予定しており、目標金額100万円を超えるとリリースが実現することになります。
今回、メジャーデビューから活動10周年を迎え「ファンの方々と一緒に形のあるものを作りたい」という高田さんに直接インタビューすることに成功。「秘密基地」への思い入れから、『リアニ』に出演した際の心境、そしてクラウドファンディングにチャレンジすることになった経緯についてもお聞きすることができました。まずはその前編をお届けします。
――高田さんの名前が一躍知られるきっかけとなり、のちの『Re:animation』の出演にも繋がった「秘密基地」ですけれど、この曲が『エウレカセブン』のテーマになった経緯を教えて下さい。
高田梢枝さん(以下、高田):「秘密基地」は19歳の時に作った、もともとストックとしてあった曲です。当時のディレクターさんがオーディションに出して、『エウレカ』の世界観とあまりに一致しているということになって。
――では、アニメの設定を受けて作られたという曲ではなかったんですね。
高田:作った時点からほとんど変えていないままですね。『エウレカ』のことはまったく知らずにまっさらな感じでした。実は、オーディションに出したこともディレクターさんに後から聞いたんです(笑)。当時ワンショット契約で、デビューシングルもそれほど売れていない中で決まったので、「クビがつながった」みたいな。
――19歳の時に作った曲がアニメのテーマになったわけですけれど、小さい頃からミュージシャンになるのが夢だった?
高田:小学生の頃は、声優になりたかったです。
――失礼ですけれど意外です(笑)。どんなアニメを見ていたのでしょう?
高田:中学生の頃に『エヴァンゲリオン』にハマって。カセットテープに『エヴァ』のセリフを夜な夜な吹き込んで。自分で何役もやって、みたいなことをしていました(笑)。
――それでは、音楽やアーティストに関心が向くきっかけは?
高田:ゆずがちょうど中学3年の時にブレイクしたのですけれど、すごい素朴な感じでも音楽ができるんだ、というのが衝撃的で。それで、彼らの真似をしてアコギを弾きはじめて曲も作ってみたのがはじまりですね。その後に椎名林檎やaikoにも影響を受けました。
――女性シンガーソングライターがどんどん登場してきた時期ですね。
高田:特にaiko はすごい好きで。ファッションリーダーでもありますし、若い人に受け入れてもらえるのが憧れではありましたね。おしゃれな雰囲気でしたし。
――となると、『秘密基地』がアニメソングになった時はどんな心境だったのでしょうか?
高田:当時はあまり素直に受け入れられなかったですね。受け入れるまでに5、6年くらい時間がかかりました。正直、『エウレカ』を最初から最後までちゃんと観たのも2,3年前で…今では大好きなんですけれど。ストーリーが何度観てもなかなか頭に入らなかったですね。自分の曲を聴いても「ピッチがずれてる!」とか「歌詞がクサイ」とか、そういうことばかり気になっていました。
――アニソンシンガーと見なされることに納得できなかった?
高田:「上手くいかないもんだな」という感じでしたね。「またか、またなのか」と。冷静に自分の曲を見たら、女の子に受け入れられそうなものは一曲もないんですよね。「秘密基地」がきっかけでアニプレックスさんが気に入って下さって、その後もアニメの曲に選んで頂けましたけれど、当時は辛かったですね。思い描いていたのとは違う方向だったので。
――どのようなことが引っかかっていたのでしょう?
高田:曲とアニメの世界観が強く結びつくことが、なかなか受け入れられなかった。タイアップがつかないとリリースできないという状況は変わらなかったので、スタッフの皆さんがとても応援してくれて。今ではすごく感謝しているのですけれど、曲を出すということは誰にでもできることではないということが、当時はわからなかったですね。あまりにも人間ができていなくて(笑)。
――2007年にフルアルバムがリリースされて、レコード会社との契約が一旦終了になりました。
高田:その時調子に乗っていたんですよ、私。マネージャーさんがすごい厳しい方で怒られるのがイヤだった。デビューのきっかけを作ってくれた方だったのですけれど、「一緒に仕事できません」と事務所の社長に向かって言ったら大問題になって…(笑)。だからすごく落ち込んで、自分の中で契約が終わったことよりも、人としてダメになるという危機感がありました。
――そんなどん底から再び立ち上がるまで、きっかけがあったのでしょうか?
高田:地元で音楽とは関係のないアルバイトを始めたんですね。どうしたらいいのか分からなかったので、音楽に対するモチベーションはいったん置いておいて。そこで6年くらいお世話になったのですけれど、その中でいろいろな人に出会って、たくさん救われることがあった。それで、だんだん曲を作ったりライブをやるようになったり、モチベが徐々に戻っていきました。
――その間にどのような心境の変化があったのでしょう?
高田:以前は自分を表現するための道具というのが強かったのですけれど、そういう経験をしてからは、自分の曲を聴いて喜んでくれる方に、自分自身も勇気をもらって。それがすごくうれしくて、新しいモチベーションになっていきましたね。その中で『エウレカ』に使って頂けたことを感謝できるようにもなりました。
――そんな『エウレカ』が縁となって、2012年の『リアニ4』に出演することになりました。一番最初のコンタクトは?
高田:「こんなイベントがある」という事と、音源を聴いたのが最初ですね。
――「秘密基地」のリミックスをしていたラストラのものですね。どちらかと言えばアコギ一本の高田さんからしてみれば、エレクトロやクラブサウンドとは音楽性にギャップがあるようにも思うのですが、最初に聴かれた時どのようにお感じになりましたか?
高田:もう、「すげー」という感じでした。思いのほかまとまっている、という。もともとエレクトロとかクラブサウンドも好きな方なので、抵抗はあまりなくて。これで歌うとなった時にはすごく嬉しかったです。
――とはいえ、自分の知らないところでリミックスされていたというのは、原曲の作者として実際どうなのでしょう?
高田:怒らないから言って欲しかったな、言ってくれたらいっぱい絡んだのにな、と(笑)。私もライブでカバーをやるし、それと同じ感覚だと思うので、ありがたいことでもあるな、と。「秘密基地」って普通に考えたらリミックスしづらいと思うんです。だからどういうふうに料理してくれるのか、純粋に興味があるし聴きたいな、と。
――その後、『リアニ』の出演が決定して、ラストラのふたりとも対面することになりました。
高田:事前の打ち合わせでお会いすることになって、すごくいい人たちだな、と(笑)。たまに友達とプライベートでクラブに行って会ったDJとは毛色が違ってました。すごく腰が低いという印象でした(笑)。
――彼らと共演した『リアニ4』は、新宿歌舞伎町での開催が一度区切りになるというエモーショナルな状況で、トリを務めることになりました。
高田:「どんな人たちがいるんだろう」とすごいワクワクして楽しみだったのを覚えています。「秘密基地」がいろいろな方に気に入ってもらっているというのは、なんとなく肌では分かっていたんですけれど、あの時700人くらいの前で歌って、「こんなに大切に思ってくれているんだ」ということを目撃したという感じでした。本当にびっくりして、うれしくて。初めて実感が湧きましたね。
(以下、後編 https://otajo.jp/37364 に続く)
PICNIC 高田梢枝オリジナル楽曲×TheLASTTRAKによるRemixのコラボCDを作ろう!
http://picnic.sc/project/detail/1118 [リンク]